エドウィン・ダン記念館

エドウィン・ダンを初めて知ったのは2007年7月6日。未だ真駒内中央公園と言っていた頃である。真駒内公園へは何度も行っていたが、中央と付く公園とは何ぞやと思い行ってみた。そこに「エドウィン・ダン記念館」があったのである。その時は公園内にある銅像だけを見てきたが、今回は記念館の中に入って、展示品をしみじみ見て来ようと思って行った。
11月1日から開館は金・土・日だけ。天候の具合を見計らって、2014/11/8日の土曜日に行った。

2007年7月6日、エドウィン・ダン記念館の牧柵、PowerShot A700

建物の外側には、エドウィン・ダンが設計した牧柵が建てられている。これは木の組み合わせだけで、釘などは一切使っていないため、美しくて丈夫、尚且つ効率の良い手法なのだそうだ。その他、農業用水路もまだ残っている。この水路の出発点を求めて、追って行ったら、そこは真駒内緑地の中にあった。

2014年11月8日、エドウィン・ダンの真駒内農業用水路、COOLPIX S97002007年7月6日、エドウィン・ダン記念館のラベンダー、PowerShot A700

前回は夏だったので、入り口にはラベンダーが咲いていた。
この記念館の建物は老朽化が進んだため改修工事を行い、2003年に再建されたもの。道理で綺麗だ。
中に入ると、エドウィン・ダン記念館運営委員の園家廣子(そのけひろこ)さんが出て来て、記帳方法やテラス・展示室の説明をしてくれた。またカメラを肩からぶら下げていたので、撮影はいいですよと、聞こうと思っていた事を前もって言ってくれた。

2014年11月8日、エドウィン・ダン記念館の内部1、COOLPIX S9700

記念館に入って右側の展示室。思っていたより広い。大きな油絵が特に目に付く。また当時の写真や遺品など興味深いのがたくさんあった。

2014年11月8日、エドウィン・ダン記念館の内部2、COOLPIX S9700


展示を見て目を引いたのはエドウィン・ダンが日本人の妻を迎えていたと言うこと。最初のツル夫人は28歳で亡くなったが、その後、ヤマさんと再婚。何とマッサンの逆を行った人なんだ!
次は「新冠」という文字。新冠の馬に関わっていたとは「つゆ知らず」である。エドウィン・ダンは「北の零年」にも登場していたのは後で知った。私は新冠のお隣の町、旧静内町の御園地区に小さい頃、2年間過ごした事がある。小学校は田原小学校と言ったが、とっくにもうない。

2014年11月8日、エドウィン・ダン記念館の農林省新冠種畜牧場絵画、COOLPIX S9700

この絵の説明文に書かれていたのは、
農林省新冠種畜牧場
ダンは明治11年新冠牧場を整備拡充し、馬の改良と繁殖に努めその産馬は横浜競馬に優勝、全国博覧会に入賞する等新冠産馬の名は天下に轟いた。新冠牧場は開拓使廃止後は御料牧場となり馬の牧場として名声を挙げたが、昭和21年農林省に移管され種畜牧場として乳牛の改良に貢献している。絵は、昭和45年新緑の頃の種牝牛舎付近の風景である。

2014年11月8日、エドウィン・ダン記念館の定山渓鉄道写真、COOLPIX S97002014年11月8日、エドウィン・ダン記念館の真駒内三角屋根住宅写真、COOLPIX S9700

その他の画像では定山渓鉄道。十五島公園の炊事遠足で、一度だけ乗ったことがある。廃線が昭和44年かぁ。その頃はもう札幌にはいない。道理で知らないわけだ。右は三角屋根の家。今もたまに見かける。実は北区太平の実家も未だこれだ。

エドウィン・ダン記念公園の中に農作業に向かうダンの銅像がある。台座のレリーフには酪農関係の事績が絵として刻み込まれている。
下の画像は2007年7月6日当時のもの。
●画像クリックで、今回、横から撮った大きな画像に。

2007年7月8日、エドウィン・ダン記念公園内のダン銅像、PowerShot A700

エドウィン・ダンをもう少し勉強してから、ここに来るとまた新たな発見があるに違いない。と思いつつ記念館を後にした。

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